在つくばボスニア・ヘルツェゴビナ名誉領事館

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ボスニア・へルツェゴビナについて

ボスニア・ヘルツェゴビナまでの航路

概要

  • 構成
  • ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦とスルプスカ共和国の二つの構成体からなる連邦国家で、さらに両地域にまたがるブルチコ行政区があります。
  • 首都
  • サラエボ (人口 500,000)
  • 人口
  • 380万
  • 宗教
  • イスラム教、セルビア正教、ローマカトリック教徒など
  • 民族
  • ボシュニャク人、セルビア人、クロアチア人など
  • 言語
  • ボスニア語、セルビア語、クロアチア語 (すべて公用語)
  • 通貨
  • KM(兌換マルク)
  • 政体
  • 元首は主要民族それぞれを代表する3名の大統領評議会の議員による輪番制。二院制議会 (代議院と民族院)、閣僚評議会および憲法裁判所を備えた議会制民主主義国家。
  • 為替レート
  • 1ユーロ = 1.95583KM(固定レート)
  • 地形
  • ディナリック山脈が風景を支配する非常に丘陵の多い国です。ボスニア・ヘルツェゴビナ最高峰のマグリッチ山は標高2,387メートルです。深い森林が国土のほぼ半分を占めています。北のサヴァ川渓谷に沿って、丘陵地帯の肥沃な平原が東から西に広がっています。南西部には23kmの海岸線があり、アドリア海へアクセスできます。
  • 気候
  • 冬は非常に寒く、特に丘や山では雪がたくさん降ります。夏は一般的に暖かく快適です。
  • 姉妹都市
  • イェゼロ市と和歌山県すさみ町

ボスニア・へル ツェゴビナ 行政区分図

ボスニア・ヘルツェゴビナは、ボシュニャク人とクロアチア人が主体のボスニア・ヘルツェゴビナ連邦と、セルビア人中心のスルプスカ共和国の二つの構成体からなる連邦国家です。両地域にまたがるブルチコ行政区は中央政府が直轄しています。

ボスニア・へル ツェゴビナ 行政区分図

ボスニア・へルツェゴビナ建国の歴史

ボスニア・ヘルツェゴビナは、20世紀末の旧ユーゴスラビアからの独立後に、悲惨な内戦が起きた国でもあります。今でも銃弾の跡や、砲弾で崩れた壁など、その痕跡は至る所で見かけることができます。この内戦(1992年 – 1995年)は、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の崩壊の過程で発生した紛争で、その複雑な背景を慎重に見ていく必要があります。

第二次世界大戦後に建国されたユーゴスラビア連邦共和国は、6つの共和国から構成された他民族国家でした(ボスニア・ヘルツェゴビナもそのうちの1つの構成国)。そのため、さまざまな難しい問題を抱えていましたが、1984年サラエボ冬季オリンピックが開催され、この大会では多民族が結束してひとつのチームを組むことで、統一を内外に示すものとなりました。

しかし、1980年代後半に入ると、政治的・経済的な混乱に直面し、各民族間の緊張が高まっていきました。そして、1991年にスロベニアとクロアチアが独立を宣言、ユーゴスラビアは分裂の道を歩み始め、激しい紛争も勃発しました。その状況下で、ボスニア・ヘルツェゴビナも1992年3月に独立を宣言しました。

この独立宣言はボスニア・ヘルツェゴビナに住むボシュニャク人、クロアチア人、セルビア人の間で対立を引き起こし、激しい内戦が始まります。この内戦はおよそ3年半以上続き、死者20万、難民・避難民200万が発生したと言われています。

旧ユーゴスラビア連邦地図

そして1995年、この内戦はNATOの介入により停戦。アメリカのデイトンにあるライト・パターソン空軍基地にて、内戦の当事国の各大統領が集まり平和協定に調印しました(デイトン合意)。この合意により、クロアチア人・ボシュニャク人がボスニア・ヘルツェゴビナ連邦、セルビア人がスルプスカ共和国というそれぞれ独立性を持つ国家体制を形成することになりました。

現在も人々の心には深い傷が残っています。しかし、人々はその傷跡を抱えながらも笑顔を見せ、一生懸命に働き、平和で安定した未来を築くために努力を続けています。

日本でも知られたボスニア・へルツェゴビナ出身の著名人

ヤドランカ・ストヤコヴィッチ

ヤドランカ・ストヤコヴィッチ

(歌手・作曲家)

1984年に開催されたサラエボオリンピックのメインテーマ曲「シュトテネーマ」を作詞、作曲。自らそのテーマ曲を歌い国民的歌手となる。日本文化に興味を抱き1988年に来日するが、その間にボスニアの内戦が酷くなり、以来、2011年まで日本を活動の拠点に置いた。
日本では教育テレビや映画の主題歌、ドラマの挿入歌をいくつも手掛け、坂本龍一氏の呼びかけによる「地雷ZEROキャンペーン」のために結成された期間限定音楽グループにも参加した。2011年からは母校で闘病生活を送っていたが、2016年に死去。サラエボで追悼式が行われた。

イビチャ・オシム

イビチャ・オシム

(元サッカー日本代表監督)

1964年、東京オリンピックのために来日。旧ユーゴスラビアサッカー代表として活躍し、日本戦で2ゴールを決めた。選手として引退後は旧ユーゴスラビア代表の監督を務めた。日本でもジェフユナイテッド市原・千葉の監督を経て、2006年には日本代表監督に就任。しかし、2007年千葉県内の自宅で脳梗塞に倒れ、一命を取り留め意識も回復したが、続投は困難と判断し退任した。
深みのある言葉の数々は「オシム語録」として注目を集め、日本サッカー界に大きな影響を与えた。2016年にはその功績を称え旭日小綬章受章。2022年自宅のあるオーストリア・グラーツにて死去し、各地で追悼式が行われた。

バヒド・ハリルホジッチ

バヒド・ハリルホジッチ

(元サッカー日本代表監督)

サッカー選手としては、旧ユーゴスラビアやフランスのクラブで活躍。監督しては、複数のクラブチーム、代表チームを歴任、アルジェリア代表監督時代にはブラジルW杯でグループリーグ突破を果たし、高い評価を受けた。2015には日本代表監督に就任。ロシアW杯の出場権を獲得したが、2018年、選手たちとのコミュニケーションの問題を理由に解任された。
2016年に発生した熊本地震では、震災後に被災地を訪問。甚大な被害状況を目の当たりにした際には、ボスニアの内戦を思い起こしたと語り、日本の若い世代を勇気づけることを誓った。

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を描いた映画「アイダよ、何処へ?」

1995年のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中に起きた「スレブレニツァの虐殺」を題材にしたヒューマンドラマ。監督は、ベルリン国際映画祭で「サラエボの花」で金熊賞を受賞したヤスミラ・ジュバニッチ監督。
この映画は、国連平和維持軍の通訳として働く女性を主人公に据え、家族を守るために奔走する彼女の姿を通して虐殺事件の全貌を描きます。1995年、セルビア人勢力に占拠されたスレブレニツァでは、2万5000人もの住民が国連基地に避難していました。通訳のアイダは、交渉の中で得た重要な情報を元に、エスカレートするセルビア人勢力の脅威から避難者たちと自分の家族を守ろうと奮闘します。しかし、事態は悪化し、基地さえも占拠の危機に晒されます。この作品は第77回ベネチア国際映画祭のコンペティション部門に出品され、第93回アカデミー国際長編映画賞にもノミネートされました。

2020年製作(101分)
ボスニア・ヘルツェゴビナ・オーストリア・ルーマニア・オランダ・ドイツ・ポーランド・フランス・ノルウェー合作

  • 原題
  • Quo vadis, Aida?
  • 配給
  • アルバトロス・フィルム
  • 劇場公開日
  • 2021年9月17日
  • 監督
  • ヤスミラ・ジュバニッチ
  • 製作
  • ダミル・イブラヒモビッチ、ヤスミラ・ジュバニッチ
  • 製作総指揮
  • マイク・グッドリッジ
  • キャスト
  • ヤスナ・ジュリチッチ、イズディン・バイロビッチ